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小休止するって言った癖にこのざまですが、無理にやる必要はないんだと思うと、
無性にやりたくなるものなんです。勉強を大人になってからするのと同じ。

(追記)
一体私は何と戦っているのだろう…(遠い目

(追追記)
まぁ、あれです。
「再生数位でオロオロしないで動画制作楽しめよ!!!」と言いたいのでございますよ。
その苦しみから回避する方法はいくらでもある訳で、
このエントリで述べていることはその一つなのです。
内容は非常に端的ですが、所詮私の理想なので無視して下さいな。

今回も相も変わらず再生数についての話です。

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なぜ人間は数に固執するのでしょう。
まぁ、誰でも分かると思いますが、数で表わされるのが一番分かりやすいからです。

例えば「w」と「GJ」のコメントじゃ、どちらの方が満足度が高いかなんてほとんど分かりません。
でも、「7」と「9」なら、9の方が高いのは一目瞭然です。
だからどんなコメントよりも、確固たる評価を表す数字に固執してしまう人が
存在するのは仕方がないことかもしれません。

しかし、本当に仕方がないことなのでしょうか。
どうして伸びないことを苦しみに感じる人が出てくるのでしょうか。

これは主観的な憶測ですが、おそらくそういう人は「アイドルを手段として見ている」のだと思います。
アイドルを輝かせることを目的とするのではなく、評価を得ることを目的としているのです。
以前、あるPがアイドルを素材としか見ていないとか何とかという騒ぎがあったような、
そんな気がするのですが、そういう時に真っ二つに意見が割れるのは、
きっと手段と目的の違いがあるからなんでしょうね。
手段として見ているなら、数が取れなくて悩むのは当たり前です。

これも主観的な意見ですが、アイマスPならば、
「常にアイドルを名声や結果のための手段とせず、アイドルを目的として行動する」べきだと思います。
本当にアイドルが好きなのであれば、全く問題ありませんよね!プロデューサーさん!

(そろそろお気付きの方もいらっしゃるでしょう。そうです。カントの人格主義からヒントを得ています。
私はカントも好きです。話すと長くなるので省略させて頂きますが)

ここまで読んで、
「おいお前、再生数気にしてるからってアイドルを目的にしてないって決めつけてんじゃねぇよ!」
と憤った方もいらっしゃるかもしれません。それこそまさに計画通り。
自分の中で一度、どうしてアイマスの動画を作っているのか、
整理してみる切っ掛けになれたなら幸いです。

そういう訳で、みんなもっとアイドルを愛しましょう!!よ!!


ちなみに、アイドルを目的として見るようになると、それはそれで表現の限界に苦しんだりもしますが、
数字なんてものに惑わされるよりはよっぽどマシです。
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無題
「俺のあずさがいっちばん可愛い」と公共の電波でのたまった声優がいますが、そのようにアイドル達を「プロデューサーごとに固有の存在」として考えた場合、再生数はその「俺の○○」の人気つまり「俺の○○がどれだけ輝いているか」をいかに評価されたか、という指標になっているのではないでしょうか。
「誰それPの○○」というような表現で動画が評価されることも多いニコマスMAD界においては、アイドルを手段と目的という二元的な世界で評することは難しいのやもしれません。
大埼 URL 2009/06/28(Sun) 編集
無題
うーん、そうでしょうかねぇ。
まぁ子供自慢をする親馬鹿の気持ちは理解できますが、
「俺の○○」と宣言するくらいなら、
むしろ逆に他人の評価なんてどうでもいいと思いますけどね。
だって、その「誰それの○○」を最も評価しているのは
他の誰でもなく表現するその人自身ですし、
他人の評価程度で気持ちが揺らぐなら、
自分で自分の愛するアイドルを否定していることになりますし。
褒められてうれしいのは分かりますよ?でも自己満足が一番でしょう。
自分が満足できなければそれはただの労働です。趣味の範疇じゃない。
そもそも嫁宣言自体が、と続けたい所ですが止めておきます。

あと、トラックバックどうもです。
そちらの記事に書くのが二度手間なのでこちらに書きます。

競争原理に関してですが、私とカントの論には大きな違いがありまして、
カントは相互関係について論じていますが、私のはあくまでも一方通行です。
つまり「誰かを踏み台にするな」から発生する競争の否定は存在してないんですよね。
むしろ「あのPよりも輝かせられるようになるぜ!」というのは推奨です。
というか、宗教じゃないのでこんな理想論でうまくまとまるとは思ってませんです。
ただ、苦しみは絶対ではないと、そう言いたいです。

作りたいように作れ、には同感です。

>失礼
私のことですね、分かりますw
私が春香さんを可愛く描けないのは、客観性を見失っているからではなく、
単に絵が下手糞なだけなのですよね。もっと精進しないと。

最後に、勘違いさせてしまうといけないので言いますが、
私はキレてませんからねww
だに 2009/06/28(Sun) 編集
長文失礼します。
大人になると資格の本とか、実用書ばかり読むようになってつまらないですね。
哲学の本とかもっと読んでおけばよかったです…。

それでも私のネタ元で語るなら、名誉心と虚栄心の区別、ということになりましょうか。
虚栄心は対世間的で、名誉心は自己の品位への自覚である。とか。
そこでは虚栄を廃すること、はそれ自身が虚栄であり、傲慢に堕していることがしばしばと言ってもおりますね。人に気に入られたい、といった虚栄は「半分の徳」でもあると。私のような凡人にはなかなか峻別の難しい領域のようです。

というわけで紙芝居祭り練習用にCM作ろうとしてみたりますが、私はまだ虚栄の部類であるなあ、と思います。見る人のことを考えずにはいられないです。
まとまりなくてすいません。
shiron 2009/06/28(Sun) 編集
無題
>shironさん
今から読めばいいじゃないですかw
好きな時にだらだらと読んでみれば面白いものですよ。

私が前に読んだショーペンハウアーの「幸福について」にも似たようなことが書いてました。
精神的に卓越した人物は自らの精神によってのみ満足するとも。
外からの影響を少しでも勘定に入れると虚栄になってしまうのかもしれませんね。

虚栄でもいいと思いますよ。
完璧な人間は存在しないのです。
CMは出来たら教えて下さいねw
だに 2009/06/29(Mon) 編集
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